中年男性、工場勤務、単身赴任

工場勤務、単身赴任のおっさんの日常です。

鬱々としたサピエンスの子孫

分かっている人には本当に当たり前のことなんだけど、物事を良いほうにも悪いほうにも好きなように考えることができる。それを選ぶのは自分なんだ。だけど僕は長い間自分が選んだのではなくて選ばされてきたような気がしていた。その選ばされてきた感はネガティブな感情になっていつも表れていた。だから、気分はほとんど鬱々としておりあまり楽しくない人生を送ってきたと思っていたし、思っていたのだから実際そうだったのだろう。ただ僕も年をとってきたからなのか鬱々とした状態を続ける体力がなくなってきたような気がする。そんな中いろいろな本を読んで考えることがあった。

 

今更ながら、サピエンス全史を読んでいる。サピエンスという種の独自性は「虚構」ということらしい。虚構を操るのか、はたまた操られるかはわからないが。

 

農業革命がサピエンスが虚構を用いるようになるのに大いに貢献したとのこと。農業は大人数で行わなければならない。そのためその集団について知っておく必要があるしコミュニケーションをとる必要もあるだろう。みな集まって話すことで言語を扱う能力も発達しただろう。言語をうまく扱えれば、いない人のうわさやら悪口なんかもしゃべっちゃったりして。そうやって、その場にいない人のことも語れるようになっていく。その場にいない人のことを語れるようになれたら、存在しないことに関しても語れるようになっていくし、なんならもっと抽象的な秩序についても語れるようになるだろう。そしてその「秩序」をみんなで共有すれば、国家や宗教だって語れるだろう、ってな感じ。虚構をつくりそれを信じ、その輪を大きくすることでサピエンスはとんでもなく大きな世界を作り出せるようになった、みたいなことが書かれている。

 虚構を作り出すためにはもちろん脳が必要である。

 

 たしか唯脳論に書いてあったと思う。「都市に住む人は人間の脳にすんでいることなんだ」と。都市というのは人間が作ったものだ。人間が何かを作り出すためにはイメージしなければならない。そしてそれを現実化しなければならない。ではどこでイメージ化するのか。脳しかないじゃん。そして、サピエンス全史とかぶる。

 

 

 よくも悪くも結局人間はあるものに対して自分の中で適当なも虚構やイメージを作り出し認識するものなのだ。それが人間なのだ。その認識の仕方のバグで僕は若い時から鬱々としていたのだろう。心理学では認知のゆがみというのだろう。ただ、現在無駄に年をとって考える気力がなくなったからなのかどうでもよくなってきている。虚構から文明を作り上げたサピエンスや都市を創造した人間をすげーと思うし、僕の若い時の鬱々とした感じも許せるようになった。毎日仕事行って、業務回して、帰宅して飯食って寝てるだけだけど。その合間に大好きな読書なんかもできたりしているのでまぁまぁ楽しく過ごしているのではないかと思っている。