中年男性、工場勤務、単身赴任

工場勤務、単身赴任のおっさんの日常です。

アルコールを飲まなくなって1年たった。

1年前断酒を始めた。本日で断酒384日目(2021年12月26日現在)だ。こうやって書いてみると384日って積み重ねてきた感じがするが途中からは惰性というか自然と日数が積みあがっていったような感じがしている。ただ、だからといって現在全く飲みたくならないかといったら全然そんなことはない。今も缶チューハイを飲みたいなとは思うし正月になったら日本酒を一杯やりたいなと考えることがあると思う。つまり、アルコールに関する欲求がゼロになることはないと思う。欲求がゼロにならないのにアルコールが飲めないというのは絶望的な感じがするが、アルコールを我慢できるハードルというのは断酒日数を重ねるごとに下がっていっている。そのためなんとか断酒が続いているのかもしれない。

 

 断酒を決意した理由はイライラが止まらなかったからだ。怒りもすごかった。会社に対する怒りだったのだろう。当時会社の事業存続が不安定で僕のいた部署も統廃合になり僕の業務も移り変わっていた。仕事を頑張ってきたのに梯子をはずされた感があったのだと思う。不安もとまらなかった。朝、出社前は絶望的な気分だった。職場の人たちとの会話など人間関係にも影響がでていたと思う。自分の精神状態がよくないとは気づいていたがそれよりもイライラ怒り不安の感情のジェットコースターにふりまわされどうすることもできなかった。また、この時期異動で単身赴任になってしまった。慣れない仕事を覚え、夜家に帰ると一人。帰宅後すぐにアルコールを流し込んでいた。イライラ怒り不安を解消するための手段としてどうして断酒にたどり着いたのかは分からないがとにかく朝の絶望的な不安を解消したかったのだと思う。アルコールを飲まないことで気分がすっきりすることは知っていた。それは30代の時1か月入院した経験があったからだ。入院中アルコールは一切飲めない。病院のコンビニにアルコールが売っていなかったのを確認した記憶があるので当時から依存症気味だったのかもしれないが、入院時は治療に専念していたのでアルコールを飲まないでいられることができた。

 

 もともと断酒はずっとやりたかった。上記の断酒を決意をする前からだ。今年齢はとうに40をこえているが断酒したいなとおもったのはおそらく30代半ばぐらいではなかったかと思う。そのころから酒量を控えてみたり、アルコール度数の強い酒を飲まないようにしてみたり、外出先でのみアルコールはOKとし家では一切飲まないようにしてみたりとかといったことをやっていたが完全にアルコールを断つということはできなかった。1か月もつづいた記憶がなかった。というか今このブログを書きながら思い出したのだが断酒とは反対の行動をしていた。会社の帰りの電車待ちのプラットホームでワンカップ缶チューハイをあけていた(もちろん残業で終電近くになって周りにあまり人がいないときに限ってだが)し、帰宅途中の家の近所のコンビニでミニワンカップを1本流し込んで帰宅していた。帰宅後ストゼロ飲んだりもしていた。依存症だったのかもしれん。そんな経緯の中単身赴任へとつながっていった。

 

断酒して最初の1か月が一番つらかった。禁断症状だと思うが不安、イライラがいつも以上にきつかったからだ。この時期はほぼ会社の席に座っているのと同義だったようなきがする。業務負荷が低かったのも良かったのかもしれない。負荷が高かったら他人に当たり散らして嫌なやつ認定されていたかもしれない。家に帰ると酒が飲みたくなるのでとにかくすぐにねた。20時ぐらいに布団にはいっていたかもしれない。この時期はどんな手をつかっても耐えるしかない。それしかない。

 

1か月を超えるとだんだんと耐えるのが楽になってくる。朝の不安症も楽になってくる。ただし、飲酒欲求はきえることはない。なにかの拍子に飲んでみようかなとおもうことはある。そんなときに飲まない選択をしつづける日々がつづく。また、イライラや怒り不安が完全になくならないことに気づく。もちろんアルコールを飲んでいた時のように強烈なイライラや怒り不安ではない。なんかイライラする、なんか不安だといったレベルのものである。つまり、イライラや不安がアルコール起因のものではなくもともと僕のもっていた気質でありそこから逃げたり忘れたりするためにアルコールを飲んでいたのだと気づき始める。その事実はつらいけど断酒し続けている中でイライラや不安の感情が消えないので自分のせいなのだと嫌でも思い知らされる。ただ、アルコールを飲んでいた時のような凶暴なイライラや不安ではない。

 

現在、イライラや不安を少しでも小さくするためにはどうすればよいかをいろいろと試している。もちろん飲酒以外のやり方で、だ。断酒をすればすべてがハッピーになるわけではないが少なくともハッピーな方向へは向かうことができていると感じている。あとは継続しかないのかもしれないし、継続できることがハッピーなのかもしれない。