中年男性、工場勤務、単身赴任

工場勤務、単身赴任のおっさんの日常です。

中年になると将来のことを考えざるを得なくなる

僕は立派な中年。しかも若年時代をなんにも考えずに生きてきた。最近中年になって若い人が話しているところを書籍であったりテレビであったり動画などでみたりするがまぁ「将来のことをかんがえているなぁ」など思ったり「自分が若いときはなんにも考えていなかったなぁ、反省」などと思ったりするわけである。最も今若い人たちの中にもなんにも考えずに生きている人たちはいると思うし、僕が目にする人たちが若い人たちの中でも考えている人たちなのかもしれない。しかし、僕ももう少し若いときにはこのように考えている若い人たちに対してアンテナが働くことはなかった。それは自分が若かったためということもあるし、現在将来への能力なり展望などの伸びしろを感じられなくなっているからだと思う。

 40代にはいって新しいことを吸収するのに時間がかかるなぁと感じることが多くなった。それは40代にはいってから全く畑違いの部署に異動になったこともあると思う。そこの部署での仕事の進め方を覚えるのに時間がかかるのだ。以前いた部署と全く進め方が異なるので一回で頭に入ってこないというのもある。僕の能力不足もあるだろう。また、僕の性格的に完璧思考、白黒思考のため自分自身のできなさ加減に嫌気がさしさらに負のループに巻き込まれるといったこともあると思う。いずれにしろ今後どう考えても明るい将来を描きにくい現状が未来を楽観視させることを難しくし、余計になんとか少しでもよりよく将来を迎えることはできないものかと考えるためにいろいろと考えざるをえなくなっているのである。今更考えたってどうしようもないということもあるかもしれない。40代になると転職も難しいし起業なんてもってのほかだ(戦場にいけと言っているに近い)。今の会社にしがみつくといった現状が僕の将来をビジョンは明確だが暗くしているのかもしれない。明確だが気持ちは八方ふさがりな感じである。ただそんな先のみえない暗いトンネルにいても自分の気分が滅入るだけである。毎日が楽しくない。

 じゃあどうするのか、と言われても現状答えることはできない。僕も毎日ではないけどふとしたときに考えていたりする。こういう時あなたの好きなことを思い出しなさい、と言われても僕はもともとそんなに好きなこともなくだらだらと生きてきたしなあ。あなたの好きなことがあって現在それを忘れているだけ理論というのは、結局自分探しの旅に出る人と同じメンタリティではないのか。というか、そんな本来の自分が今の僕の気づかないところに存在しているという確信が僕にはもてない。今の将来のことについてうんうんと考えている自分しか存在しないと思うのだ。だから、この自分に対して僕がどう思うのか、その認識の方法を変えるしかないと思うのだ。かなり論理の飛躍した文章になってしまったが、これはまだ自分の中で考えがまとまっておらず明快でない思考をおもいつくままに書いてしまっているのでこのような文章になってしまっている。

 

さて、今日も会社がはじまるので出勤してこようと思う。